阪神大震災から15年 [news ...& comments]
1995年1月17日。阪神大震災が起きた日です。
15年が経ちました。
朝、テレビを見ない私は、何も知らずに、いつも通りに出社しました。当時、テレビ局に勤めていました。
出社したら、非常に会社が慌ただしかった(そりゃそうです)。伊丹やさんちか(三宮駅地下街)が大きな被害を受けていたので(確か崩壊してしまったのでしたよね)、宝塚市に住む友人の家に電話をかけました。今でも、その時のことを克明に覚えています。
電話した公衆電話、つながらないだろうと思いつつかけたけれど、すぐにつながったこと。
そして、電話に出た友人があまりにも普通だったこと。
新興住宅地に住んでいたので、友人の家やその辺り一帯は、食器などが割れる被害はあったものの、それほど大事にはなっていなかったそうです。
そして、テレビが映らず、震災の被害度合いをまだその時点では知らなかったのです。
最新の情報がどんどん入ってくる、映像をみている私は、子供の頃にみていた景色が様変わりしていることへのショックを感じていました。そして、数年後、復興したと言われる神戸の街に行った時、メインの通りから1本入ったところではまだまだ震災の後が残っていたことにまた衝撃を受けたこともまた、しっかり記憶に残っています。
だからなに?というところかもしれませんが、記憶に残る、1995年1月17日です。
15年が経ちました。
朝、テレビを見ない私は、何も知らずに、いつも通りに出社しました。当時、テレビ局に勤めていました。
出社したら、非常に会社が慌ただしかった(そりゃそうです)。伊丹やさんちか(三宮駅地下街)が大きな被害を受けていたので(確か崩壊してしまったのでしたよね)、宝塚市に住む友人の家に電話をかけました。今でも、その時のことを克明に覚えています。
電話した公衆電話、つながらないだろうと思いつつかけたけれど、すぐにつながったこと。
そして、電話に出た友人があまりにも普通だったこと。
新興住宅地に住んでいたので、友人の家やその辺り一帯は、食器などが割れる被害はあったものの、それほど大事にはなっていなかったそうです。
そして、テレビが映らず、震災の被害度合いをまだその時点では知らなかったのです。
最新の情報がどんどん入ってくる、映像をみている私は、子供の頃にみていた景色が様変わりしていることへのショックを感じていました。そして、数年後、復興したと言われる神戸の街に行った時、メインの通りから1本入ったところではまだまだ震災の後が残っていたことにまた衝撃を受けたこともまた、しっかり記憶に残っています。
だからなに?というところかもしれませんが、記憶に残る、1995年1月17日です。
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